駒澤大学ギタークラブ資料館

KGC Laboratory

エッセイ

他人任せな前期演奏会 2年生 田中 和

まずは、演奏面についての反省から書きたいと思います。
全体的に考えが甘かったです。~と言うか、先輩に甘えすぎていたと思う。

恥ずかしい話ですが、自分は演奏中、音ミスをすることばかり恐れて、
(まあ、実際、ミスしちゃいましたが・・・)、
如何にして、3年生の音の中に隠れるか、そればかりを考えていました。

それだけ、自分の音を出すことが恥ずかしかったのです。
後で、思い返すと、意味の解らない行為です。

それなら、演奏会にでる意味が無いでしょう。

自分の演奏は、消極的で、決して積極的なものではありません。
なぜかと言えば、第一に、「自信がないから」です。
自信がないから、大きな音を出すことも出来ない・・・。
もっと自己主張したい、攻撃的な演奏がしたい。そんな思いはあります。

その為には、自信が持てるだけの、圧倒的な練習量が必要で、
そういう練習量の裏付けのある演奏が出来るようになりたいです。
今の自分は、そういう自信につながる練習が出来ていない、
だからこそ、先輩の音に隠れよう~などという思考が働いたように思えます。

今回の演奏会には、高校時代の友人二人が演奏会に来てくれて、
「良かったよ!」「呼んでくれて有難う!」と言ってくれました。
しかし私は、そう言ってくれる友人達に対し、後ろめたい気持ちで一杯でした。

自分自身、納得のいってないものを聴かせて、お礼を言われて。
後で、もっと良い演奏を聞かせてあげればよかった、
いや、良い悪いというより、もっと精一杯、演奏しておけば良かったと後悔しました。

しかし、自分を含め、2年生は、甘いと思う。

演奏会直前、控室で音合わせしている音が、ステージまで聴こえてきて、
「調弦の音がうるさい・・・」と注意されたことがありました。
それは、調弦技術の甘さ、自信の無さ、準備不足などもありますが、
今、自分達は、どこで音を出しているのか、そういう周囲への気配りの無さ、
演奏会場にも関わらず、いつもの教場と同じような神経しか持てない、
そういう、会全体に対する配慮の無さが原因だと思います。

それは、何も特別なことではなく、演奏会に向けて、
当然、出来ていなくてはいけないことなんですから・・・。

通常の教場での練習についても、先生の指示する曲想を、
自分を含め、2年生はあまり楽譜に書きこんでいないように感じます。
だから、すぐに忘れる。で、また同じことを指示される~の繰り返し。

曲想を書き込むのも、3年生任せ。

演奏会だけ甘えずにいるというのは無理なことですから、普段の練習から、
自分が指示されているのだという自覚を持たなくてはいけないと反省しました。


次に、運営面についての反省を書きます。
今回、演奏会での役割=受付、ドアボーイ、ステージサポート、ビデオ係など、
これらの役職について、仕事を覚えてもらうことをテーマにしていたと思います。

それぞれの係に、監督役の上級生を配置させ、
この事なら、この人に聞けばいいという風にしたかったのでしょうが、
実際は、渉外のステージマネージャーのみが、1年生を指導していたように思います。

仕事を覚えてもらう・・・と言っても、

その指導というのが、ホントに手取り足取りで、
細かい指示、具体的な指示を行うのは良いとしても、
何で、そういう質が求められているのか、
その係の持つ意味というものが、1年生達に伝わっていないように感じました。

そして、何故だか分かりませんが、
ギター部の3年生は、皆、優しいと思います。優しすぎるくらいです。

甘えると、甘やかしてくれる。悪く言うと、過保護。
まあ、その優しさに2年生が甘えてしまっているのも現実なんですが。
そして、何でも3年生自身が自分でやろうとしてしまう。
2年生に任そうとはあまりしない。

それは、「自分がやらなきゃ!」と思っているからでしょうし、
3年生の先輩達に、そう思わせてしまっているのは、自分達に原因があるんですね。

だいたい、ステージの上で
「先輩の音に隠れて・・・」等と考えている部員が信用されるわけないですし、
部の仕事を任せてもいいと思うわけはないですね・・・。

いずれにせよ、来年は、今の2年生が主体となっていくのですから、
甘えきっている2年生に、喝を入れる・・・というか、
先輩達はもっとキツイ口調でもって、怒ってもいいように思います。

~と、それも甘えになるんですよね。

要するに、こんな居心地のいい、ヌルイ環境に居る自分に対し、
自分自身で『喝!』を入れる必要があると、痛切に感じた演奏会でした・・・。

Portrait

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