駒澤大学ギタークラブ資料館

KGC Laboratory

エッセイ

徒然なるままに~日常に潜む崖っぷち 4年生 関 良太

エッセイを書こうとして、思うがままに書いてよいといわれたものの、
話題なら、まあ、あるにはあるが、
渉外、WEB作成管理、ステージマネージャー、パンフ作成、演奏者と、
様々な経験をしてきたので、何かと振り返ることはできるわけですが、
ネタがかぶらないようにするとなると、
これまた微妙な、マニア向けのネタになってしまうのが癖のようで・・・。


ああ、そうだ。

先生の例え話(?)に、時々、幕末の志士、坂本竜馬の話しが出てくる。
あの有名な司馬遼太郎の作品を元に話しておられるようだ。
俺も、司馬氏の作品は、「幕末」「最後の将軍」「竜馬が行く」と、
これしか読んだことはないが、まあとにかく、
既読作品を引き合いに出していただけて、個人的には話が分かりやすかった。

その(司馬作品)中で、幕末の世相のなか、勤皇佐幕、尊皇攘夷の志士とかが、
まあよく色々と論議している、そうしたくだりで、
「他人を論破などしても、考えを変えることはできず、
ただ、敗れた相手の心に、名誉を傷つけられた~という思いが残るのみである」
~というようなことが書いてあった。

確かに、小規模に相対的に人を言い負かして得た優越感などくだらない。
そんなものは、誇りでも何でもないし、犬の餌にもなりゃしない。
ただ、俺の現実に、そういうのも無かったわけでもない・・・・。

同じ学生同士、生徒会の学生同士、この部の部員同士、
ちょっとした宴会の幹事など、とにかく、何がしかの組織に属する連中が集まれば、
その組織の運用の方法論などについて、それぞれの考えに相違があり、

また、自分の立場に対する意識の違い=積極的な意志を持って、
話し合おうとしている者もいれば、何となくその場に居るだけ~という、
そういう意識の差があってか、思うように話がまとまらなかったことがある。

このギター部の場合で言えば、当然、相手を論破する事が目的ではないものの、
3年生という自分の立場と、役職を担う者である期間がとても短く、
部員にしても4年間というのも長くはない期間であろうから、
あえて、間違いをしでかして台無しにすることだけは避けたかった。

いきおい、まるで論破するためのような言葉が出てくる。そして手段にも及ぶ。
ややもすれば、奇麗事で片付かなければ、
手を汚してでも、片付けるような方法も採り兼ねなかったものだったのは、
誠実や平等を通したがために負担を負うというには、4年間という時間は、
あまりにも時間がなさ過ぎるように感じられたからだ。
しかし結局は、肝も頭も、キャパの小さい人間のなせる業という結論に達した。

あともうひとつ。前述の例の作品で思い出すのが、
『事の成るならぬは、それをいう人間にもよる~』ということだ。

これは、坂本竜馬程の話だが、だからといって、見過ごせる言葉でもない。
まあ、俺は、よく理屈っぽいことをゴネるわけだが、
誰かさんと言っていることが変わらなかったりすることがある。
とにかく、俺は空気を冷める方向に持っていく性質らしい。
主観的にはそんな感じがする。だからなんだってこともないが(笑)

浅見君にはその辺、俺が発言するタイミングをコントロールしてもらったり、
俺が沈めた皆のテンションを、野田君に回復してもらったりして、嬉しい限りだ。


気ままにどんどん書いていこう。

俺は数学が不得意だ。
そんなんでも、高校の時に俺のクラスの担当の先生が上手かったので、
俺もそれなりに勉強し、テストでも結構良い点を修めていた。
今、思うと、偶然としか思えんが。

その先生が、おもむろに授業中に言っていた言葉で今でも覚えているものがある。
残念ながら(?)数式ではない。曰く~
「分からないのは私のせいですが、やる気が無いのは皆さんのせいです」と。

で、その通り、この数学の先生は質問すればなんでもわかり易く、
わかるまで教えてくれたわけだ。少なくとも、俺から見れば。
だから俺も、自分自身の、物事への動機のありかを見つけるよう心がけはじめた。

ついでに言っておくと、契約や形式などには、
本質的にモチベーションを促すことが出来ないがために、
補い、不備を隠すために存在するものもある。

で、数学教師の話に戻るけど、人=特に幼い子の、やる気を喚起させるのも、
教育者の仕事であろうという意見に反発するつもりもないが、
やる気すら人頼み~というも、習う者としての姿勢に欠ける、これも事実だろう。

まあ、どちらの立場を責めるべくも無い。結局は相互作用の話だ。
まして、高校での話だしね。まあ、何が言いたいかは分かっていただけるでしょう。


ああ、そうそう。

根性という言葉が嫌いだ。まあ、俺の言うところの根性の定義というのも曖昧で、
言葉のあやで書くが、文章の内容から理解してほしい。

根性なんて物は、戦略や戦術が及ばない時に、
当事者の気持ちを紛らわすために使われる、
強制労働への合言葉だと思うのだが、どうだろう。例えば~

タイムリミットぎりぎりになって失策に気づく。
で、飯抜き、睡眠抜き、時間のある限り戦いつづける。疲れる。
~が、疲れたとは言ってはならない。まったく馬鹿馬鹿しいよ。
『愚直』にすら、及ばない。RPGやった人に言いたいけど、
物理攻撃だけで、ファイターだけの構成で、クリアできますか?

大体、一つの問題が表面化したその時点で、
既に数十パーセントは解決不能とみたほうがよいわけで。

解決できる場合もあるが、その問題の土壌の根が深く、
あるいは過去に原因があるほど、そして時間的猶予が無い場合ほど、
解決へ向けた努力は、ほぼ無駄になる。

労力を使った結果、それが解決不能~ということが検証されることすら無意味と思う。
データが採れるか?そんなことは無い。
全く予見できなかったトラブルのデータなど、採っても解析できない。
できるなら問題など起きていない。なんちって。

飯でも食って(?)、リラックスして、
来るべきときに臨んだほうが賢明ってもんでしょう。

どーしても問題解決に臨みたかったら、
むしろその問題の土壌は何なのかと考える。

すると原因は、たいがい日常の中にさりげなくひそんでいるもので、
一過性の出来事ではないと認識できる。
とかいっても、やっぱり誰も先のことなんてわからない。


だからこそ、問題が起きないようにするには、
常に2重3重の戦術を長期的に施すことになる。
猪突猛進(盲信?笑)は崖に落ちるのみ。これが今の俺の持論だったりする。
後ろ向きなほうのね。

でも、解決策が思いつかない、理解できない。
そんな人に贈ってあげたい言葉があります。
まあ長期的な作戦ほど、理解者が少ないのは知ってますが。
耳をかっぽじってモニターを見るように。それは・・・・・。


「目的のためには手段を選ばない」

モニターの前のアナタ笑わないように。まあ、絶対聞いたことあると思います。
しかも悪い意味で。でも、いい意味で使いましょう。きっと使えます。
たぶん、どこまで手段を選ばずにいっても、皆さんのことですから、
肝心なところで良心の歯止めはかかるでしょう?
じゃあ、発想の幅がダイナミックに広がって、丁度良いんじゃないですか?

・・・オチがついてよかった(笑)

Portrait

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