駒澤大学ギタークラブ資料館

KGC Laboratory

エッセイ

私とギター 合同演奏幹事 東渕 周太

私がクラシックギターを始めてから、すでに9年が経とうとしております。

何も分からない中で始めた当初は、これほど長く続くとは思っていませんでしたが、
年を重ね、少しずつその魅力を学び知るうちに、
ふと気が付けば、ギターは、私の中で何物にも代えられないものになっていました。

少し話がそれますが、私は日頃、様々な演奏会や舞台鑑賞を趣味にしております。
先日も、新橋演舞場にて歌舞伎を観劇したのですが、
この歌舞伎には、四百年もの歴史があることは皆さんも御存じのことでしょう。

長い歴史の中、先代からの伝統を継承しつつ、
その時代に合った舞台様式を生みだそうとしている歴代の役者、
演出家の労力は、すさまじいものがあると思うと同時に、
その結果を後生に伝えていくことで、
歌舞伎は世界に通ずる本当の意味での日本の文化財産に成り得たのでしょう。

ギターの分野にも同じようなことが言えると思います。

その歴史を辿れば、弦の数やボディの大きさの違い、
動物の腸から化学繊維に見られる弦の変遷、それに伴う奏法の変化など、
様々な面で試行錯誤した様子が見て取れます。

私達がギターを本当の意味で楽しもうとするならば、
まず、そういった歴史を通じて現代に受け継がれている真理を、
頭ではなく心で理解することが大切だと思います。

クラシックギターの魅力を一口で表せば、それは音色の美しさにあります。
また、エレキやアコースティックには無い、繊細な音色の変化でもあります。

その様なニュアンスを生む為に、
歴代のギタリスト達は試行錯誤を繰り返して来たわけですが、
今、皆さんが御指導を受けている弾き方というものも、そういう歴史の結果であり、
それを実感できた時、ギター独自の魅力の一端を知り得ることでしょう。

現役生の皆さんには、是非、ギターの文化に触れ、見聞を広めつつ、
皆さん自身の中の美意識を高めながら、大学時代に出会ったギターを、
今後の人生における心の財産にしてもらえたらと願っております。
(2006年ウィンターコンサートパンフレット寄稿文より)

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