駒澤大学ギタークラブ資料館

KGC Laboratory

エッセイ

部活のソリスト経験 中曽根 亮史

振り返ってみれば、部に所属した、ほぼ半分を
「ソリスト」として過ごしてきたわけですが、2年の時と3年の時とでは、
微妙にスタンスが違っていたような気がします。

最初と2回目ですから、何かが違って当然だとは思いますが、
覚悟というか決意のようなものが違ったように思います。

ビバルディ作曲の「トランペット協奏曲」の時は、
「とにかく一生懸命やるだけ」を心がけていましたが、
正直なところ、自分はおまけのようなものだと思っていました。

今になって思えば笑ってしまいますが、
「できなくて当然・・・」みたいな甘えた気持ちがあったのでしょう。
そんなものでしたから、夏季合宿におけるソリストの練習は修羅場でした。

基礎練習を繰り返し、繰り返し行ったのですが、思うように指が動かない。
そんな自分の指に苛立ちを覚えながら、ふと改めて考えてみると、
いつのまにか弾けない悔しさが芽生えていました。

「できなくて当然」等という気持ちも、
「できるようにならなくてはならない」に変わっていました。

無論のこと、自分以外のソリストたちとも呼吸を合わせて、
音をそろえる練習もしたりしました。
ここで修羅場を味わうことがなければ、
翌年、四季の「冬」のソリストをやる気にはならなかったでしょう。

「冬」のソロは、非常に難しいということは知っていましたが、
前の年のウィンターコンサートで「トランペット協奏曲」を弾き終えた時、
少なくとも何らかの自信がついた気がしていましたし、
「冬」の原曲を聴いてみて、「やってみたい!」と心から思えたことが、
再びソリストを担当する際の意欲を高めてくれたと思います。

まあ、「意欲」だけで弾けてしまえば苦労はないのですが、まず第一関門。
春合宿の中でボロボロに打ちのめされたわけですが、
具体的には、左手の小指の反応が遅い~という事に気付いたのです。

相棒の秋山さんとの都合が中々あわず、二人であわせる機会が無いまま、
また、無かったことによって、基礎練の毎日を繰り返すことができ、
自分自身の問題は克服していったとも思えるのですが、

夏合宿を迎える頃には、豆ができて痛い、指が動かない、微妙に遅れる、
弾けない、揃わないの、良い所が全く見えない状況で、さすがに、
「実は何の成果も出ていないのでは・・・」と少しずつ焦りを感じ始めていました。

一時は、あまりにも弾けない自分に、かなり悩んだこともありましたが、
何と言っても自分との闘い・・・それしかなかったのです。

更に、ウィンターコンサート間近になると、授業の方に実習が加わり、
後期もまた、秋山さんと一緒に練習する機会がほとんど設けられなかった為、
逆に、文化祭やリハーサルは、数倍の集中力でもって練習に参加しようと、
そういう意気込みでのぞんでみるものの、やはり練習から離れ、
実習の現場では不安を抱える毎日を過ごしていました。

本番の前日。

ソロの最難関のフレーズが、割と確実に弾けるようになってきたからでしょうか、
ようやく、「弾けるかも・・・」という少しの自信を持つことができましたが、
後は本番のステージで、どれくらい緊張しないで弾ききることができるか、
もはや精神力のみの勝負という状況でした。

本番当日、いよいよ最後の大編成の曲となり、ステージに入場。

それまでの自分だったら、きっと緊張して胸の鼓動も速まっていたはずですが、
ところが不思議な事に、妙に落ち着いた、静かな気持ちでいられました。
着席して、ギターを構えると、急速に集中力が高まっていき、
中間部の難関部をメインを終え、ホッと一息、
曲の終わりに向かう途中で、「勝った!」という実感が得られたのを覚えています。

何に勝ったのか・・・・定かではないのですが、
これが「自分に勝った」ということなのかもしれませんね。
あとは間違えようがないし、無事に弾ききる充足感のようなモノが、
心の中に広がり始めていたのです。
おかしなもので、なんだか本番が、一番うまく弾けたような気がしました。

ソリストを努めさせてもらったことは、
大学生活の中で自分を磨いてくれる機会として、非常に貴重なものであり、
ずっと忘れないものになり得たと思います。

最後に音楽監督をはじめ、御指導頂いた先輩方と
励ましてくれた皆にお礼申し上げます。

ありがとうございました。

Portrait

Essay Top >>>